渋沢を感じよう!~中の家~
中の家
これ、なんて読むでしょうか?
「なかのいえ」じゃあないんだ。
正解は、
なかんち
「ん」はどっからきたのよ?
まあ、そんなことは置いておくとして、今回も新1万円札で有名な渋沢栄一ゆかりの地を、再発見していこう!
(ちなみに前回は青淵公園を紹介しました。)
さてさて、まずは中ん家の正門をご覧いただくとしようかねえ!
おお!渋沢を感じる!
感じるぞ!
(ムスカ大佐風に)
ここが渋沢栄一が23歳まで過ごしていた「中の家」です。前回紹介した青淵公園の近くにありますが、青淵公園周辺もとい、中ん家周辺は渋沢一族が開拓の一翼を担ったのだそう。ぜひ中の家を訪れる際は、周辺に建っている家の表札をご覧いただきたい。渋沢を姓に持つ家がたくさんあることに気づくはずですよ。
この中ん家では、渋沢栄一の先生兼従兄弟である尾高惇忠が、栄一に一生懸命『論語』を教えていました。論語の教えは、後の渋沢栄一に大きな影響を与えることになります。この点は、こちらの記事を読んでいただければ分かるはず!
さーて、いよいよ、門をくぐって行こう!
すると
すぐ左に構えるは、
渋沢栄一!
カッコいい‥
そして、本日のメイン!
中の家の主屋(おもや)が、これだあー。
ワン👉
トゥー👉
スリー👉
出たー!!
まあ、栄一が深谷を出たあとに建てられたものなんだけどね。でも、晩年、深谷に戻ってからは、ここで過ごされたんじゃないかなと思う。
ちなみに、中の家の中は、入ることができない‥。
しかし!
裏手の窓から、
中の家の中を知ることができた!
それが、これだあー。
ワン!👉
トゥー!👉
スリー!👉
ザ☆日本家屋
いい雰囲気ですね。住みたいなー、マジで。
さて、中の家は主屋だけじゃなくて、他にも色々とあるんですよ!最後に、それらを一気に紹介して行こうかね。
土蔵
米倉だったり、藍玉の貯蔵場所だったら、道具入れだったり、用途によって分けられていたみたい。
しっかし、こんなに土蔵があったことからも、やっぱり渋沢化が豪農だったことが窺える。
なぞのばしょ
煉瓦でも焼いていたか?ごみを燃やしていたか?
そして‥
↑主屋の裏手は竹林になってます。とても雰囲気が良いです。栄一がいた頃もこんな感じだったのだろうか。毎日ここを歩けるなんて、羨ましいこと山の如しだぜ!
さて!今回は「中の家」を紹介しました!栄一のぬくもりを、皆さんは感じることができましたか?それではまた次回。
↑なんか、雰囲気良かったので、撮りました。